Dyskolos 本編字幕
登場人物
パーン:牧神
S: ソーストラトス:娘に恋をした金持ちの御曹司
X: カイレアース:ソーストラトスの友人
P: ピュッリアース:ソーストラトスの奴隷
Kn: クネーモーン:人間嫌いの老人
K: クネーモーンの娘
D: ダーオス:娘の義理の兄、ゴルギアースの奴隷(ゴルギアース本人は第2幕以降に登場)
パーン:
ここはアッティケー、ピュレーの里。
そして俺がたったいま出て来たニュンペーの社こそ、
岩をも耕すピュレーの住人が崇め奉る、二つと無き聖所。
そして、その右手の農地はクネーモーンのもの。人間嫌いのけだもの、誰に対しても気難しく、人付き合いを憎んでいた――「人付き合い」? とんでもない、それどころかかなり前からすすんで人と話さない。避けようもないからか、隣人は別として――そう、このパーン様さ。もっとも、俺に話しかけることすら忌々しく思っているご様子だ。さて、そんな性格にも関わらず、彼は未亡人の女を妻に娶った。ちょうど幼い息子を遺されて夫に先立たれた女だ。この女とも、昼となく夜となく争いあった。さらに酷いことに、娘まで生まれてしまった。こうして、他のどんな不幸もこれほどではないだろうというほどの辛く苦しい生活になると、妻は前の夫の息子のもとへ逃げていった。息子は、わずかな土地を近くに持っており、母と自分、そして父の代からの信頼できる使用人をなんとか維持している。既にこの青年は年齢以上の知性を備えている。色々な苦労の経験こそが、人を育てるものだからな。さて、その老人だが、誰にも頼らず、娘や召使いの老婆と、薪を集めて畑を耕し、絶えず身を粉にしていた。家族とも距離を置き、隣人や前妻、コラルゴスの村人に至るまで、世の中すべてを憎んでいた。しかし娘は、世間離れしたためか純粋で、汚れを知らない。我が友ニュンペーを気遣い、敬っている。そうなると、我々としてもこの娘のために一肌脱ごうじゃないかという気になった。さて、ここにある若者がいる。父親は非常に裕福で、この地に広大な土地を持ち、農園を営んでいる。都会に暮らしているが、狩り仲間の友人とともに狩りにきて、たまたまこの地を訪れたのだ。そこで、この若者に恋を吹き込み、彼女に惚れさせてやったのさ。
ここまで話してきたが、さあこれから起きることを見てくれよ。
お望みならば、いや、望んでくださらねば。
だって、恋に狂った若者は、狩り仲間と一緒にすぐそこまで来ている。
恋の問題について、互いに話し合いながら。
カイレアース(以下X): なんだって? それじゃあお前はここでニュンペー像に花冠を捧げる娘を見て惚れちまったのか、ソーストラトス。一目惚れってわけか
ソーストラトス(以下S): 一目惚れだよ
X: 早業だな! それとも「よし、一目惚れしに行くぞ」って決めてたのか
S: ばかにするなよ、カイレアース。ぼくがこんなに苦しんでいるのに
X: いや、信じてないわけじゃないよ
S: だから君を連れて来たんじゃないか。友達だし、こういうことについては慣れてると思って
X: そういうことについてはさ、ソーストラトス。俺はこう思うのさ。もし誰か友達が遊女に夢中になったとしよう。俺だったらすぐにその女をさらってくる。酔った勢いで火を付けてでも。まったく理性はあてにならないからね。その女が誰かなんて二の次で、まずは手に入れりゃいい! 恋心ってのは、先延ばしにすればするほど募るもの。手早く片を付ければ、さっさと片付くもんなんだよ。でもそいつが堅気の娘と結婚したいって言うんなら、そのときは俺だってきちんとする。生まれ、暮らし向き、それから性格まで調べ上げる。俺が取りはからったことがずっと先まで友達に影響するわけだから、さ!
S: ありがたい話だね。……ありがた迷惑な話だけど
X: さあて、とにかく、まず状況を聞きにいかないとな
S: それなら、朝早くに狩りの共のピュッリアースを家から送ったんだ!
X: おくった?
S: だからその子の父親のところにだよ。というか、その家の主人のところに
X: ああ、ヘーラクレース! なんてことしたんだ
S: え、ダメだった? あ、も、もしかしたら奴隷はこういう役目にふさわしくなかったかな。でも、こうやって恋に落ちると、もうどうしたらいいかパッと判断できないんだ。ああ、そういやあいつなんでこんなに遅いんだ。何かわかったらすぐに帰ってこいって言ってあるのに
ピュッリアース(以下P): どいてくれ! 危ないぞ、道を開けろ! 狂ったやつが追いかけてくる、狂ってる
S: なんだなんだ、おい
P: に、逃げてください
S: はあ?
P: 土だの石だの投げてくるんです。もうおしまいだ
S: 投げる? どこに行くんだ、ばかやろう
P: もう追いかけてこないのか
S: 当たり前だ
P: てっきりまだいると
S: さっきから何の話をしてるんだ!
P: 逃げましょう、お願いですから
S: どこへ?
P:
その戸口から離れて、できるだけ遠くに。
災厄の申し子か、悪霊の化身か、
異常に不安定な奴なのか、
とにかくここに住んでる奴のところに行けと言われて、ああ、神々よ、なんて有様だ、指はあちこちぶつけて、もうボロボロだ
S: 参ったなあ、こっちに来てから酒でも飲んだのか
X: 明らかに様子がおかしいね
P: 神に誓って違いますよ、ソーストラトス様。お気をつけください。ああ、うまく話せない。息が……私は家の戸を叩いて、主人にお会いしたいと言ったんです。そしたら汚いクソばばあがやって来て、ちょうどいま私が話しているこの場所に立って、丘の上の男を指差しました。そいつはみじめったらしく梨だか何だかを集めてたんだ
X: なんでこんなにキレてるんだ?
P: 何だって!? いいですか、私はそこに踏み入って、彼に近づいていきました。それでかなり離れたところから、実に丁寧に、如才なく、話しかけたわけですよ。
「あなたに用があって急いで参りました。あなたのためを思って」
「この罰当たりめ!いったい何を企んでノコノコ俺の土地に入り込んだんだ」
そう怒鳴って、土くれか何かを拾って、私の顔面に投げつけてくるんですよ
X: ……ひでえ話だな
P:
「ポセイドーン様、あいつをやっつけてください」と言って眼をつぶっていると、
今度は棒か何かで殴りかかってきたんです。
「貴様は俺に何の関係があるんだ。道路と畑の見分けもつかんのか?」と、
むちゃくちゃに怒鳴るんです
X: つまりお前は、その農夫が完全に狂っていると言いたいんだね
P: しまいには、逃げる私を15スタディオンばかりも追いかけてきました。まずは丘の周りを、それから下って、その茂みの中まで、土くれやら石やら、果ては自分の採った梨まで投げつけてきて――野蛮な野郎だ、完全に狂ってる。お願いですから、逃げて下さい
S: ……ずいぶんへなちょこだなあ
P: あんたたちはあの恐ろしさがどんなものなのかを知らないんです。取って食われるかという勢いですよ
X: まあまあ、きっとたまたま機嫌が悪かったんだよ。しかし、どうも今回のことは延期したほうがいいんじゃないかな。ソーストラトス、君もよくわかると思うが、物事にはタイミングというものがあるからさ
P: ごもっともです
X: まあ貧乏な農夫なんて大体みんなそんな感じなんだよ。とにかく明日、朝から俺が一人で行ってきてやるよ。家の場所もわかったことだし。だから今日のところは家に帰ってゆっくり休もうぜ。大丈夫、全部うまくいくさ
P: そうしましょうぜ
S: けっ、あいつめ都合よく帰ったな。最初から乗り気じゃなかったのはわかってんだ。結婚の計画も全然適当だったし……しかし、おい、お前。お前には天罰が下るよ、このゴロツキめ
P: わ、私が何をしたって言うんですか
S: お前があそこで悪さをしたんだろう、泥棒とか
P: 泥棒だって?
S: 何もやってないお前を殴るやつがあるか?
P: ――ああ、そこにいる。あいつだ。ご老人、私はもう勘弁してくれ! 知らねえぞ、あんたが話せばいいんだ
S: で、できるわけないだろう。僕は元来口下手なんだ。それにしてもあの男、なんと言うか、とても友好的には見えないな。ゼウス様、ああ、すごい勢いでやってくる。ちょっとどこかに隠れなきゃ。そうしなきゃ。あいつ、一人で怒鳴ってる。まともじゃない。本当に怖いんだけど、どうしよう、神様アポローン様……怖いものを怖いと言って、何が悪いんだ!
クネーモーン(以下Kn):
かの英雄ペルセウスは二重に恵まれていた
――まず翼のある靴を手に入れた。
おかげで地面を歩き回る奴らとは顔を合わせずに済んだ。
次に手に入れたのはメドゥーサの首。
邪魔な奴らはみんな石に早変わり――
俺にもそいつが手に入ればいいのに。そしたらあたり一面石像だらけにしてやる。だが現実はどうだ?アスクレーピオスにかけて、死んだ方がましだ! 人の土地に押しかけてきて騒ぎ立てるとはな。この道のそばを耕してないのは俺が暇人だからだとでも?いいや、通行人がいるから仕事にならんのだ!それを避けて丘の上にいても、わざわざついてくる奴がいやがる!だいたい、世の中には人間が多すぎるんだ!……なんてこった、また誰かが玄関のところに立ってやがる!
S: ……まずい、これは打たれるかな?
Kn:
孤独なんてこの世にはなくなってしまった。
首を吊ろうとする奴でさえ、
一人きりにはなれないだろうよ
S: 何かお気に障りましたか?その、ご主人、僕はここで人を待っているのです。約束があるので……
Kn: ほらみろ。あんたらはここを名の知れた待ち合わせ場所とでも思ってるのか?うちの玄関先もそんな風にしたいのなら、いっそ全部そのために整備したらどうだ?お望みなら椅子も用意して、その気があるなら集会所も建てて――畜生め、とんだ嫌がらせだよ!
S: これは尋常じゃなく骨の折れる仕事に違いない。父さんの奴隷のゲタースに話をしてみようか。是非そうしよう。彼なら頭の回転も速いし、何事にも経験豊富だから、あの老人の気難しさだってきっとどうにかしてくれるさ。この件ではぐずぐずしない方がよさそうだし、今日中にできることはたくさんあるはずだから――ん、ドアから鍵の音がしたぞ
娘(以下K): ああ、もう、大変!私どうしたらいいの?ばあやが井戸に水を汲む壺を落としちゃった!
S: おお父なるゼウス、癒し手ポイボス、親愛なるディオスクーロイ!なんて美しさ!もうたまらないよ!
K: なのに、パパが帰ってきて水を温めろと
S: 皆さん、どうしましょう?
K: もし壺を落としたのがパパにばれたら、ばあやは打たれてひどい目に……おしゃべりしてる場合じゃないわ。愛しいニュンペーの皆様、どうかお助けください。でもちゃんと犠牲を捧げてお祈りしている人がいたら、お邪魔はいたしません―
S: あの、もしよければ僕が水を汲んできてあげましょうか?
K: ……ええ!急いでお願いします!
S: 田舎暮らしなのに気品もあるなんて!……ああ、誉れ高き神々よ、恋する僕を救って下さるのはどなたでしょう?
K: あら、今の音は誰?もしかしてパパかしら? もし外にいるのがばれたら打たれちゃう!
ダーオス(以下D): さっきから奥様の家事をしていましたが、今度はお一人で畑におられるご主人のお手伝いに行って参ります。ああまったく貧乏ってやつは、なんでこんなに私らを苦しめるんだ?どうしていつまでも私らの家に居座るんだ?
S: はい、どうぞ
K: ここまでお持ちになって
D: ……あの男はいったい何のつもりだ?
S: さようなら、お父様によろしく。ああ、なんてことだ!……いや、くよくよするな、ソーストラトス。きっと万事うまくいくさ
D: うまくいくって、何が?
S: ……恐れるんじゃないぞ。計画通りゲタースを連れて戻ってくるんだ。まずは彼に事情を全部はっきり話さないと
D: ……このざまはいったいなんだ?こんなことが認められるもんか。娘の世話を若い男が焼くなんて、とんでもない!まったくクネーモーンの爺さんめ、すべての神々があんたをこっぴどく罰してくださればいい。無垢な娘をたった一人で放っておくなんて!誰かが見ててやるべきなのに、それもやっていない。さっきの男もそれに気づいて、これ幸いと寄ってきたんだろう。あの娘のお兄様であるご主人にすぐにこのことを知らせなければ。そうして彼女には私らが気を配るようにしよう。――これは今すぐ行ってそうした方がいいな。ちょうどパーンの信徒どもが酔っ払ってこちらへやってくるのが見える。あいつらとは関わらない方がいいだろう
(第1幕 終)